2008年11月19日水曜日

 彼は今日《こんにち》まで、俗にいう下町生活に昵懇《なじみ》も趣味も有《も》ち得ない男であった。時たま日本橋の裏通りなどを通って、身を横にしなければ潜《くぐ》れない格子戸《こうしど》だの、三和土《たたき》の上から訳《わけ》もなくぶら下がっている鉄灯籠《かなどうろう》だの、上《あが》り框《がまち》の下を張り詰めた綺麗《きれい》に光る竹だの、杉だか何だか日光《ひ》が透《とお》って赤く見えるほど薄っぺらな障子《しょうじ》の腰だのを眼にするたびに、いかにもせせこましそうな心持になる。こう万事がきちりと小さく整のってかつ光っていられては窮屈でたまらないと思う。これほど小ぢんまりと几帳面《きちょうめん》に暮らして行く彼らは、おそらく食後に使う楊枝《ようじ》の削《けず》り方《かた》まで気にかけているのではなかろうかと考える。そうしてそれがことごとく伝説的の法則に支配されて、ちょうど彼らの用いる煙草盆《たばこぼん》のように、先祖代々順々に拭《ふ》き込まれた習慣を笠《かさ》に、恐るべく光っているのだろうと推察する。須永《すなが》の家《うち》へ行って、用もない松へ大事そうな雪除《ゆきよけ》をした所や、狭い庭を馬鹿丁寧《ばかていねい》に枯松葉で敷きつめた景色《けしき》などを見る時ですら、彼は繊細な江戸式の開花の懐《ふところ》に、ぽうと育った若旦那《わかだんな》を聯想《れんそう》しない訳に行かなかった。第一須永が角帯《かくおび》をきゅうと締《し》めてきちりと坐る事からが彼には変であった。そこへ長唄《ながうた》の好きだとかいう御母《おっか》さんが時々出て来て、滑《すべ》っこい癖《くせ》にアクセントの強い言葉で、舌触《したざわり》の好い愛嬌《あいきょう》を振りかけてくれる折などは、昔から重詰《じゅうづめ》にして蔵の二階へしまっておいたものを、今取り出して来たという風に、出来合《できあい》以上の旨《うま》さがあるので、紋切形《もんきりがた》とは無論思わないけれども、幾代《いくだい》もかかって辞令の練習を積んだ巧みが、その底に潜《ひそ》んでいるとしか受取れなかった。
 要するに敬太郎《けいたろう》はもう少し調子外《ちょうしはず》れの自由なものが欲しかったのである。けれども今日《きょう》の彼は少くとも想像の上において平生の彼とは違っていた。彼は徳川時代の湿《しめ》っぽい空気がいまだに漂《ただ》よっている黒い蔵造《くらづくり》の立ち並ぶ裏通に、親譲りの家を構えて、敬ちゃん御遊びなという友達を相手に、泥棒ごっこや大将ごっこをして成長したかった。月に一遍ずつ蠣殼町《かきがらちょう》の水天宮様《すいてんぐうさま》と深川の不動様へ御参りをして、護摩《ごま》でも上げたかった。(現に須永は母の御供をしてこういう旧弊《きゅうへい》な真似《まね》を当り前のごとくやっている。)それから鉄無地《てつむじ》の羽織でも着ながら、歌舞伎を当世《とうせい》に崩《くず》して往来へ流した匂《におい》のする町内を恍惚《こうこつ》と歩きたかった。そうして習慣に縛《しば》られた、かつ習慣を飛び超《こ》えた艶《なま》めかしい葛藤《かっとう》でもそこに見出したかった。
 彼はこの時たちまち森本の二字を思い浮かべた。するとその二字の周囲にある空想が妙に色を変えた。彼は物好《ものずき》にも自《みずか》ら進んでこの後《うし》ろ暗《ぐら》い奇人に握手を求めた結果として、もう少しでとんだ迷惑を蒙《こう》むるところであった。幸いに下宿の主人が自分の人格を信じたからいいようなものの、疑ぐろうとすればどこまでも疑ぐられ得る場合なのだから、主人の態度いかんに依《よ》っては警察ぐらいへ行かなければならなかったのかも知れない。と、こう考えると、彼の空中に編み上げる勝手な浪漫《ロマン》が急に温味《あたたかみ》を失って、醜《みに》くい想像からでき上った雲の峰同様に、意味もなく崩れてしまった。けれどもその奥に口髭《くちひげ》をだらしなく垂らした二重瞼《ふたえまぶち》の瘠《やせ》ぎすの森本の顔だけは粘《ねば》り強く残っていた。彼はその顔を愛したいような、侮《あなど》りたいような、また憐《あわれ》みたいような心持になった。そうしてこの凡庸《ぼんよう》な顔の後《うしろ》に解すべからざる怪しい物がぼんやり立っているように思った。そうして彼が記念《かたみ》にくれると云った妙な洋杖《ステッキ》を聯想《れんそう》した。
 この洋杖は竹の根の方を曲げて柄《え》にした極《きわ》めて単簡《たんかん》のものだが、ただ蛇《へび》を彫ってあるところが普通の杖《つえ》と違っていた。もっとも輸出向によく見るように蛇の身をぐるぐる竹に巻きつけた毒々しいものではなく、彫ってあるのはただ頭だけで、その頭が口を開けて何か呑《の》みかけているところを握《にぎり》にしたものであった。けれどもその呑みかけているのが何であるかは、握りの先が丸く滑《すべ》っこく削《けず》られているので、蛙《かえる》だか鶏卵《たまご》だか誰にも見当《けんとう》がつかなかった。森本は自分で竹を伐《き》って、自分でこの蛇を彫ったのだと云っていた。

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