2008年11月18日火曜日

 真鍮《しんちゅう》の掛札に何々殿と書いた並等《なみとう》の竈《かま》を、薄気味悪く左右に見て裏へ抜けると、広い空地《あきち》の隅《すみ》に松薪《まつまき》が山のように積んであった。周囲《まわり》には綺麗《きれい》な孟宗藪《もうそうやぶ》が蒼々《あおあお》と茂っていた。その下が麦畠《むぎばたけ》で、麦畠の向うがまた岡続きに高く蜿蜒《うねうね》しているので、北側の眺《なが》めはことに晴々《はればれ》しかった。須永《すなが》はこの空地の端《はし》に立って広い眼界をぼんやり見渡していた。
「市《いっ》さん、もう用意ができたんですって」
 須永は千代子の声を聞いて黙ったまま帰って来たが、「あの竹藪《たけやぶ》は大変みごとだね。何だか死人《しびと》の膏《あぶら》が肥料《こやし》になって、ああ生々《いきいき》延びるような気がするじゃないか。ここにできる筍《たけのこ》はきっと旨《うま》いよ」と云った。千代子は「おお厭《いや》だ」と云《い》い放《ぱなし》にして、さっさとまた並等《なみとう》を通り抜けた。宵子《よいこ》の竈《かま》は上等の一号というので、扉の上に紫の幕が張ってあった。その前に昨日《きのう》の花環が少し凋《しぼ》みかけて、台の上に静かに横たわっていた。それが昨夜《ゆうべ》宵子の肉を焼いた熱気《ねっき》の記念《かたみ》のように思われるので、千代子は急に息苦しくなった。御坊《おんぼう》が三人出て来た。そのうちの一番年を取ったのが「御封印を……」と云うので、須永は「よし、構わないから開けてくれ」と頼んだ。畏《かしこ》まった御坊は自分の手で封印を切って、かちゃりと響く音をさせながら錠《じょう》を抜いた。黒い鉄の扉が左右へ開《あ》くと、薄暗い奥の方に、灰色の丸いものだの、黒いものだの、白いものだのが、形を成さない一塊《ひとかたまり》となって朧気《おぼろげ》に見えた。御坊は「今出しましょう」と断って、レールを二本前の方に継《つ》ぎ足しておいて、鉄の環《かん》に似たものを二つ棺台の端《はし》にかけたかと思うと、いきなりがらがらという音と共に、かの形を成さない一塊の焼残《やけのこり》が四人の立っている鼻の下へ出て来た。千代子はそのなかで、例の御供《おそなえ》に似てふっくらと膨《ふく》らんだ宵子の頭蓋骨《ずがいこつ》が、生きていた時そのままの姿で残っているのを認めて急に手帛《ハンケチ》を口に銜《くわ》えた。御坊はこの頭蓋骨と頬骨と外に二つ三つの大きな骨を残して、「あとは綺麗《きれい》に篩《ふる》って持って参りましょう」と云った。
 四人《よつたり》は各自《めいめい》木箸《きばし》と竹箸を一本ずつ持って、台の上の白骨《はっこつ》を思い思いに拾っては、白い壺《つぼ》の中へ入れた。そうして誘い合せたように泣いた。ただ須永だけは蒼白《あおしろ》い顔をして口も利《き》かず鼻も鳴らさなかった。「歯は別になさいますか」と聞きながら、御坊が小器用に歯を拾い分けてくれた時、顎《あご》をくしゃくしゃと潰《つぶ》してその中から二三枚|択《よ》り出したのを見た須永は、「こうなるとまるで人間のような気がしないな。砂の中から小石を拾い出すと同じ事だ」と独言《ひとりごと》のように云った。下女が三和土《たたき》の上にぽたぽたと涙を落した。御仙《おせん》と千代子は箸《はし》を置いて手帛《ハンケチ》を顔へ当てた。
 車に乗るとき千代子は杉の箱に入れた白い壺を抱《だ》いてそれを膝《ひざ》の上に載《の》せた。車が馳《か》け出すと冷たい風が膝掛と杉箱の間から吹き込んだ。高い欅《けやき》が白茶《しらちゃ》けた幹を路の左右に並べて、彼らを送り迎えるごとくに細い枝を揺り動かした。その細い枝が遥《はる》か頭の上で交叉《こうさ》するほど繁《しげ》く両側から出ているのに、自分の通る所は存外明るいのを奇妙に思って、千代子は折々頭を上げては、遠い空を眺《なが》めた。宅《うち》へ着いて遺骨を仏壇の前に置いた時、すぐ寄って来た小供が、葢《ふた》を開けて見せてくれというのを彼女は断然拒絶した。
 やがて家内中同じ室《へや》で昼飯の膳《ぜん》に向った。「こうして見ると、まだ子供がたくさんいるようだが、これで一人もう欠けたんだね」と須永が云い出した。
「生きてる内はそれほどにも思わないが、逝《ゆ》かれて見ると一番惜しいようだね。ここにいる連中のうちで誰か代りになればいいと思うくらいだ」と松本が云った。
「非道《ひど》いわね」と重子が咲子に耳語《ささや》いた。
「叔母さんまた奮発して、宵子さんと瓜二《うりふた》つのような子を拵《こしら》えてちょうだい。可愛《かわい》がって上げるから」
「宵子と同じ子じゃいけないでしょう、宵子でなくっちゃ。御茶碗や帽子と違って代りができたって、亡《な》くしたのを忘れる訳にゃ行かないんだから」
「己《おれ》は雨の降る日に紹介状を持って会いに来る男が厭《いや》になった」

0 件のコメント: