2008年11月19日水曜日

 ところが五分待っても十分待っても冒険家は容易に顔を現わさなかった。敬太郎《けいたろう》はとうとうじっと我慢しきれなくなって、自分で下へ降りて用場を探して見ると、森本の影も形も見えない。念のためまた階段《はしごだん》を上《あが》って、彼の部屋の前まで来ると、障子《しょうじ》を五六寸明け放したまま、真中に手枕をしてごろりと向うむきに転《ころ》がっているものがすなわち彼であった。「森本さん、森本さん」と二三度呼んで見たが、なかなか動きそうにないので、さすがの敬太郎もむっとして、いきなり室《へや》に這入《はい》り込むや否や、森本の首筋を攫《つか》んで強く揺振《ゆすぶ》った。森本は不意に蜂《はち》にでも螫《さ》されたように、あっと云って半《なか》ば跳《は》ね起きた。けれども振り返って敬太郎の顔を見ると同時に、またすぐ夢現《ゆめうつつ》のたるい眼つきに戻って、
「やああなたですか。あんまりちょうだいしたせいか、少し気分が変になったもんだから、ここへ来てちょっと休んだらつい眠くなって」と弁解する様子に、これといって他《ひと》を愚弄《ぐろう》する体《てい》もないので、敬太郎もつい怒《おこ》れなくなった。しかし彼の待ち設けた冒険談はこれで一頓挫《いちとんざ》を来《きた》したも同然なので、一人自分の室《へや》に引取ろうとすると、森本は「どうもすみません、御苦労様でした」と云いながら、また後《あと》から敬太郎について来た。そうして先刻《さっき》まで自分の坐《すわ》っていた座蒲団《ざぶとん》の上に、きちんと膝《ひざ》を折って、
「じゃいよいよ世界に類のない呑気生活の御話でも始めますかな」と云った。
 森本の呑気生活というのは、今から十五六年|前《ぜん》彼が技手に雇われて、北海道の内地を測量して歩いた時の話であった。固《もと》より人間のいない所に天幕《テント》を張って寝起をして、用が片づきしだい、また天幕を担《かつ》いで、先へ進むのだから、当人の断った通り、とうてい女っ気《け》のありようはずはなかった。
「何しろ高さ二丈もある熊笹《くまざさ》を切り開いて途《みち》をつけるんですからね」と彼は右手を額より高く上げて、いかに熊笹が高く茂っていたかを形容した。その切り開いた途の両側に、朝起きて見ると、蝮蛇《まむし》がとぐろを巻いて日光を鱗《うろこ》の上に受けている。それを遠くから棒で抑《おさ》えておいて、傍《そば》へ寄って打《ぶ》ち殺して肉を焼いて食うのだと彼は話した。敬太郎がどんな味がすると聞くと、森本はよく思い出せないが、何でも魚肉《さかな》と獣肉《にく》の間ぐらいだろうと答えた。
 天幕《テント》の中へは熊笹の葉と小枝を山のように積んで、その上に疲れた身体《からだ》を埋《うず》めぬばかりに投げかけるのが例であるが、時には外へ出て焚火《たきび》をして、大きな熊を眼の前に見る事もあった。虫が多いので蚊帳《かや》は始終《しじゅう》釣っていた。ある時その蚊帳を担《かつ》いで谷川へ下りて、何とかいう川魚を掬《すく》って帰ったら、その晩から蚊帳が急に腥《なまぐ》さくなって困った。――すべてこれらは森本のいわゆる呑気生活の一部分であった。
 彼はまた山であらゆる茸《たけ》を採《と》って食ったそうである。ます茸《だけ》というのは広葢《ひろぶた》ほどの大きさで、切って味噌汁《みそしる》の中へ入れて煮るとまるで蒲鉾《かまぼこ》のようだとか、月見茸《つきみだけ》というのは一抱《ひとかかえ》もあるけれども、これは残念だが食えないとか、鼠茸《ねずみだけ》というのは三つ葉の根のようで可愛《かわい》らしいとか、なかなか精《くわ》しい説明をした。大きな笠《かさ》の中へ、野葡萄《のぶどう》をいっぱい採って来て、そればかり貪《むさ》ぼっていたものだから、しまいに舌《した》が荒れて、飯が食えなくなって困ったという話もついでにつけ加えた。
 食う話ばかりかと思うと、また一週間絶食をしたという悲酸《ひさん》な物語もあった。それはみんなの糧《かて》が尽きたので、人足が村まで米を取りに行った留守中に大変な豪雨があった時の事である。元々村へ出るには、沢辺《さわべ》まで降りて、沢伝いに里へ下るのだから、俄雨《にわかあめ》で谷が急にいっぱいになったが最後、米など背負《しょ》って帰れる訳のものでない。森本は腹が減って仕方がないから、じっと仰向《あおむけ》に寝て、ただ空を眺《なが》めていたところが、しまいにぼんやりし出して、夜も昼もめちゃくちゃに分らなくなったそうである。
「そう長い間飲まず食わずじゃ、両便《りょうべん》とも留《と》まるでしょう」と敬太郎が聞くと、「いえ何、やっぱりありますよ」と森本はすこぶる気楽そうに答えた。

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