2008年11月18日火曜日

 その日は生憎《あいにく》千代子に妨たげられた上、しまいには須永《すなが》の母さえ出て来たので、だいぶ長く坐っていたにもかかわらず、立ち入った話はいっさい持ち出す機会がなかった。ただ敬太郎《けいたろう》は偶然にも自分の前に並んだ三人が、ありのままの今の姿で、現に似合わしい夫婦と姑《しゅうとめ》になり終《おお》せているという事にふと思い及んだ時、彼らを世間並の形式で纏《まと》めるのは、最も容易い仕事のように考えて帰った。
 次の日曜がまた幸いな暖かい日和《ひより》をすべての勤《つと》め人《にん》に恵んだので、敬太郎は朝早くから須永を尋ねて、郊外に誘《いざ》なおうとした。無精《ぶしょう》でわがままな彼は玄関先まで出て来ながら、なかなか応じそうにしなかったのを、母親が無理に勧めてようやく靴を穿《は》かした。靴を穿いた以上彼は、敬太郎の意志通りどっちへでも動く人であった。その代りいくら相談をかけても、ある判切《はっきり》した方角へ是非共足を運ばなければならないと主張する男ではなかった。彼と矢来の松本といっしょに出ると、二人とも行先を考えずに歩くので、一致してとんでもない所へ到着する事がままあった。敬太郎は現にこの人の母の口からその例を聞かされたのである。
 この日彼らは両国から汽車に乗って鴻《こう》の台《だい》の下まで行って降りた。それから美くしい広い河に沿って土堤《どて》の上をのそのそ歩いた。敬太郎は久しぶりに晴々《はればれ》した好い気分になって、水だの岡だの帆《ほ》かけ船《ぶね》だのを見廻した。須永も景色《けしき》だけは賞《ほ》めたが、まだこんな吹き晴らしの土堤などを歩く季節じゃないと云って、寒いのに伴《つ》れ出した敬太郎を恨《うら》んだ。早く歩けば暖たかくなると出張した敬太郎はさっさと歩き始めた。須永は呆《あき》れたような顔をして跟《つ》いて来た。二人は柴又《しばまた》の帝釈天《たいしゃくてん》の傍《そば》まで来て、川甚《かわじん》という家《うち》へ這入《はい》って飯を食った。そこで誂《あつ》らえた鰻《うなぎ》の蒲焼《かばやき》が甘《あま》たるくて食えないと云って、須永はまた苦い顔をした。先刻《さっき》から二人の気分が熟しないので、しんみりした話をする余地が出て来ないのを苦しがっていた敬太郎は、この時須永に「江戸っ子は贅沢《ぜいたく》なものだね。細君を貰うときにもそう贅沢を云うかね」と聞いた。
「云えれば誰だって云うさ。何も江戸っ子に限りぁしない。君みたような田舎《いなか》ものだって云うだろう」
 須永はこう答えて澄ましていた。敬太郎は仕方なしに「江戸っ子は無愛嬌《ぶあいきょう》なものだね」と云って笑い出した。須永も突然おかしくなったと見えて笑い出した。それから後《あと》は二人の気分と同じように、二人の会話も円満に進行した。敬太郎が須永から「君もこの頃はだいぶ落ちついて来たようだ」と評されても、彼は「少し真面目《まじめ》になったかね」とおとなしく受けるし、彼が須永に「君はますます偏窟《へんくつ》に傾くじゃないか」と調戯《からか》っても、須永は「どうも自分ながら厭《いや》になる事がある」と快よく己《おの》れの弱点を承認するだけであった。
 こういう打ち解けた心持で、二人が差し向いに互の眼の奥を見透《みとお》して恥ずかしがらない時に、千代子の問題が持ち出されたのは、その真相を聞こうとする敬太郎に取って偶然の仕合せであった。彼はまず一週間ほど前耳にした彼女が近いうちに結婚するという噂《うわさ》を皮切《かわきり》に須永を襲《おそ》った。その時須永は少しも昂奮《こうふん》した様子を見せなかった。むしろいつもより沈んだ調子で、「また何か縁談が起りかけているようだね。今度は旨《うま》く纏《まと》まればいいが」と答えたが、急に口調《くちょう》を更《か》えて、「なに君は知らない事だが、今までもそう云う話は何度もあったんだよ」とさも陳腐《ちんぷ》らしそうに説明して聞かせた。
「君は貰《もら》う気はないのかい」
「僕が貰うように見えるかね」
 話しはこんな風に、御互で引き摺《ず》るようにしてだんだん先へ進んだが、いよいよ際《きわ》どいところまで打ち明けるか、さもなければ題目を更《か》えるよりほかに仕方がないという点まで押しつめられた時、須永はとうとう敬太郎に「また洋杖《ステッキ》を持って来たんだね」と云って苦笑した。敬太郎も笑いながら縁側《えんがわ》へ出た。そこから例の洋杖を取ってまた這入って来たが、「この通りだ」と蛇《へび》の頭を須永に見せた。

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