2008年11月18日火曜日

十六

 実を云うと、僕はこの高木という男について、ほとんど何も知らなかった。ただ一遍百代子から彼が適当な配偶を求めつつある由を聞いただけである。その時百代子が、御姉さんにはどうかしらと、ちょうど相談でもするように僕の顔色を見たのを覚えている。僕はいつもの通り冷淡な調子で、好いかも知れない、御父さんか御母さんに話して御覧と云ったと記憶する。それから以後僕の田口の家《うち》に足を入れた度数は何遍あるか分らないが、高木の名前は少くとも僕のいる席ではついぞ誰の口にも上《のぼ》らなかったのである。それほど親しみの薄い、顔さえ見た事のない男の住居《すまい》に何の興味があって、僕はわざわざ砂の焼ける暑さを冒《おか》して外出したのだろう。僕は今日《こんにち》までその理由を誰にも話さずにいた。自分自身にもその時にはよく説明ができなかった。ただ遠くの方にある一種の不安が、僕の身体《からだ》を動かしに来たという漠《ばく》たる感じが胸に射《さ》したばかりであった。それが鎌倉で暮らした二日の間に、紛《まぎ》れもないある形を取って発展した結果を見て、僕を散歩に誘い出したのもやはり同じ力に違いないと今から思うのである。
 僕が別荘へ帰って一時間|経《た》つか経たないうちに、僕の注意した門札と同じ名前の男がたちまち僕の前に現われた。田口の叔母は、高木さんですと云って叮嚀《ていねい》にその男を僕に紹介した。彼は見るからに肉の緊《しま》った血色の好い青年であった。年から云うと、あるいは僕より上かも知れないと思ったが、そのきびきびした顔つきを形容するには、是非共青年という文字が必要になったくらい彼は生気に充《み》ちていた。僕はこの男を始めて見た時、これは自然が反対を比較するために、わざと二人を同じ座敷に並べて見せるのではなかろうかと疑ぐった。無論その不利益な方面を代表するのが僕なのだから、こう改たまって引き合わされるのが、僕にはただ悪い洒落《しゃれ》としか受取られなかった。
 二人の容貌《ようぼう》がすでに意地の好くない対照を与えた。しかし様子とか応対《おうたい》ぶりとかになると僕はさらにはなはだしい相違を自覚しない訳に行かなかった。僕の前にいるものは、母とか叔母とか従妹《いとこ》とか、皆親しみの深い血属ばかりであるのに、それらに取り捲《ま》かれている僕が、この高木に比べると、かえってどこからか客にでも来たように見えたくらい、彼は自由に遠慮なく、しかもある程度の品格を落す危険なしに己《おのれ》を取扱かう術《すべ》を心得ていたのである。知らない人を怖《おそ》れる僕に云わせると、この男は生れるや否や交際場裏に棄《す》てられて、そのまま今日まで同じ所で人と成ったのだと評したかった。彼は十分と経たないうちに、すべての会話を僕の手から奪った。そうしてそれをことごとく一身に集めてしまった。その代り僕を除《の》け物《もの》にしないための注意を払って、時々僕に一句か二句の言葉を与えた。それがまた生憎《あいにく》僕には興味の乗らない話題ばかりなので、僕はみんなを相手にする事もできず、高木一人を相手にする訳にも行かなかった。彼は田口の叔母を親しげに御母さん御母さんと呼んだ。千代子に対しては、僕と同じように、千代ちゃんという幼馴染《おさななじみ》に用いる名を、自然に命ぜられたかのごとく使った。そうして僕に、先ほど御着になった時は、ちょうど千代ちゃんとあなたの御噂《おうわさ》をしていたところでしたと云った。
 僕は初めて彼の容貌を見た時からすでに羨《うらや》ましかった。話をするところを聞いて、すぐ及ばないと思った。それだけでもこの場合に僕を不愉快にするには充分だったかも知れない。けれどもだんだん彼を観察しているうちに、彼は自分の得意な点を、劣者の僕に見せつけるような態度で、誇り顔に発揮するのではなかろうかという疑が起った。その時僕は急に彼を憎《にく》み出した。そうして僕の口を利《き》くべき機会が廻って来てもわざと沈黙を守った。
 落ちついた今の気分でその時の事を回顧して見ると、こう解釈したのはあるいは僕の僻《ひが》みだったかも分らない。僕はよく人を疑ぐる代りに、疑ぐる自分も同時に疑がわずにはいられない性質《たち》だから、結局|他《ひと》に話をする時にもどっちと判然《はっきり》したところが云い悪《にく》くなるが、もしそれが本当に僕の僻《ひが》み根性《こんじょう》だとすれば、その裏面にはまだ凝結した形にならない嫉※[#「女+戸」、第3水準1-15-76]《しっと》が潜《ひそ》んでいたのである。

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