2008年11月19日水曜日

十六

 敬太郎《けいたろう》はどこの占《うら》ない者《しゃ》に行ったものかと考えて見たが、あいにくどこという当《あて》もなかった。白山《はくさん》の裏とか、芝公園の中とか、銀座何丁目とか今までに名前を聞いたのは二三軒あるが、むやみに流行《はや》るのは山師《やまし》らしくって行く気にならず、と云って、自分で嘘《うそ》と知りつつ出鱈目《でたらめ》を強《し》いてもっともらしく述べる奴《やつ》はなお不都合であるし、できるならば余り人の込み合わない家《うち》で、閑静な髯《ひげ》を生やした爺《じい》さんが奇警《きけい》な言葉で、簡潔にすぱすぱと道《い》い破《やぶ》ってくれるのがどこかにいればいいがと思った。そう思いながら、彼は自分の父がよく相談に出かけた、郷里《くに》の一本寺《いっぽんじ》の隠居の顔を頭の中に描《えが》き出した。それからふと気がついて、考えるんだかただ坐っているんだか分らない自分の様子が馬鹿馬鹿しくなったので、とにかく出てそこいらを歩いてるうちに、運命が自分を誘い込むような占《うら》ない者《しゃ》の看板にぶつかるだろうという漠然《ばくぜん》たる頭に帽子を載《の》せた。
 彼は久しぶりに下谷の車坂《くるまざか》へ出て、あれから東へ真直《まっすぐ》に、寺の門だの、仏師屋《ぶっしや》だの、古臭《ふるくさ》い生薬屋《きぐすりや》だの、徳川時代のがらくたを埃《ほこり》といっしょに並べた道具屋だのを左右に見ながら、わざと門跡《もんぜき》の中を抜けて、奴鰻《やっこうなぎ》の角へ出た。
 彼は小供の時分よく江戸時代の浅草を知っている彼の祖父《じい》さんから、しばしば観音様《かんのんさま》の繁華《はんか》を耳にした。仲見世《なかみせ》だの、奥山《おくやま》だの、並木《なみき》だの、駒形《こまかた》だの、いろいろ云って聞かされる中には、今の人があまり口にしない名前さえあった。広小路に菜飯《なめし》と田楽《でんがく》を食わせるすみ屋という洒落《しゃれ》た家があるとか、駒形の御堂の前の綺麗《きれい》な縄暖簾《なわのれん》を下げた鰌屋《どじょうや》は昔《むか》しから名代《なだい》なものだとか、食物《くいもの》の話もだいぶ聞かされたが、すべての中《うち》で最も敬太郎の頭を刺戟《しげき》したものは、長井兵助《ながいひょうすけ》の居合抜《いあいぬき》と、脇差《わきざし》をぐいぐい呑《の》んで見せる豆蔵《まめぞう》と、江州伊吹山《ごうしゅういぶきやま》の麓《ふもと》にいる前足が四つで後足《あとあし》が六つある大蟇《おおがま》の干し固めたのであった。それらには蔵《くら》の二階の長持の中にある草双紙《くさぞうし》の画解《えとき》が、子供の想像に都合の好いような説明をいくらでも与えてくれた。一本歯の下駄《げた》を穿《は》いたまま、小さい三宝《さんぼう》の上に曲《しゃ》がんだ男が、襷《たすき》がけで身体《からだ》よりも高く反《そ》り返った刀を抜こうとするところや、大きな蝦蟆《がま》の上に胡坐《あぐら》をかいて、児雷也《じらいや》が魔法か何か使っているところや、顔より大きそうな天眼鏡《てんがんきょう》を持った白い髯の爺さんが、唐机《とうづくえ》の前に坐って、平突《へいつく》ばったちょん髷《まげ》を上から見下《みおろ》すところや、大抵の不思議なものはみんな絵本から抜け出して、想像の浅草に並んでいた。こういう訳で敬太郎の頭に映る観音の境内《けいだい》には、歴史的に妖嬌陸離《ようきょうりくり》たる色彩が、十八間の本堂を包んで、小供の時から常に陽炎《かげろ》っていたのである。東京へ来てから、この怪しい夢は固《もと》より手痛く打ち崩《くず》されてしまったが、それでも時々は今でも観音様の屋根に鵠《こう》の鳥《とり》が巣を食っているだろうぐらいの考にふらふらとなる事がある。今日も浅草へ行ったらどうかなるだろうという料簡《りょうけん》が暗《あん》に働らいて、足が自《おの》ずとこっちに向いたのである。しかしルナパークの後《うしろ》から活動写真の前へ出た時は、こりゃ占《うら》ない者《しゃ》などのいる所ではないと今更《いまさら》のようにその雑沓《ざっとう》に驚ろいた。せめて御賓頭顱《おびんずる》でも撫《な》でて行こうかと思ったが、どこにあるか忘れてしまったので、本堂へ上《あが》って、魚河岸《うおがし》の大提灯《おおぢょうちん》と頼政《よりまさ》の鵺《ぬえ》を退治《たいじ》ている額だけ見てすぐ雷門《かみなりもん》を出た。敬太郎の考えではこれから浅草橋へ出る間には、一軒や二軒の易者はあるだろう。もし在《あ》ったら何でも構わないから入る事にしよう。あるいは高等工業の先を曲って柳橋の方へ抜けて見ても好いなどと、まるで時分どきに恰好《かっこう》な飯屋《めしや》でも探す気で歩いていた。ところがいざ探すとなると生憎《あいにく》なもので、平生《ふだん》は散歩さえすればいたるところに神易《しんえき》の看板がぶら下っている癖に、あの広い表通りに門戸を張っている卜者《うらない》はまるで見当らなかった。敬太郎はこの企図《くわだて》もまた例によって例のごとく、突き抜けずに中途でおしまいになるのかも知れないと思って少し失望しながら蔵前《くらまえ》まで来た。するとやっとの事で尋ねる商売の家《うち》が一軒あった。細長い堅木の厚板に、身の上判断と割書《わりがき》をした下に、文銭占《ぶんせんうら》ないと白い字で彫って、そのまた下に、漆《うるし》で塗った真赤《まっか》な唐辛子《とうがらし》が描《か》いてある。この奇体な看板がまず敬太郎の眼を惹《ひ》いた。

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