2008年11月19日水曜日

 須永《すなが》はもとの小川亭即ち今の天下堂という高い建物を目標《めじるし》に、須田町の方から右へ小さな横町を爪先上《つまさきのぼ》りに折れて、二三度不規則に曲った極《きわ》めて分り悪《にく》い所にいた。家並《いえなみ》の立て込んだ裏通りだから、山の手と違って無論屋敷を広く取る余地はなかったが、それでも門から玄関まで二間ほど御影《みかげ》の上を渡らなければ、格子先《こうしさき》の電鈴《ベル》に手が届かないくらいの一構《ひとかまえ》であった。もとから自分の持家《もちいえ》だったのを、一時親類の某《なにがし》に貸したなり久しく過ぎたところへ、父が死んだので、無人《ぶにん》の活計《くらし》には場所も広さも恰好《かっこう》だろうという母の意見から、駿河台《するがだい》の本宅を売払ってここへ引移ったのである。もっともそれからだいぶ手を入れた。ほとんど新築したも同然さとかつて須永が説明して聞かせた時に、敬太郎《けいたろう》はなるほどそうかと思って、二階の床柱や天井板《てんじょういた》を見廻した事がある。この二階は須永の書斎にするため、後から継《つ》ぎ足したので、風が強く吹く日には少し揺れる気味はあるが、ほかにこれと云って非の打ちようのない綺麗《きれい》に明かな四畳六畳|二間《ふたま》つづきの室《へや》であった。その室に坐《すわ》っていると、庭に植えた松の枝と、手斧目《ちょうなめ》の付いた板塀《いたべい》の上の方と、それから忍び返しが見えた。縁に出て手摺《てすり》から見下した時、敬太郎は松の根に一面と咲いた鷺草《さぎそう》を眺めて、あの白いものは何だと須永に聞いた事もあった。
 彼は須永を訪問してこの座敷に案内されるたびに、書生と若旦那の区別を判然と心に呼び起さざるを得なかった。そうしてこう小ぢんまり片づいて暮している須永を軽蔑《けいべつ》すると同時に、閑静ながら余裕《よゆう》のあるこの友の生活を羨《うら》やみもした。青年があんなでは駄目だと考えたり、またあんなにもなって見たいと思ったりして、今日も二つの矛盾からでき上った斑《まだら》な興味を懐《ふところ》に、彼は須永を訪問したのである。
 例の小路《こうじ》を二三度曲折して、須永の住居《すま》っている通りの角まで来ると、彼より先に一人の女が須永の門を潜《くぐ》った。敬太郎はただ一目《ひとめ》その後姿を見ただけだったが、青年に共通の好奇心と彼に固有の浪漫趣味《ロマンしゅみ》とが力を合せて、引き摺《ず》るように彼を同じ門前に急がせた。ちょっと覗《のぞ》いて見ると、もう女の影は消えていた。例の通り紅葉《もみじ》を引手《ひきて》に張り込んだ障子《しょうじ》が、閑静に閉《しま》っているだけなのを、敬太郎は少し案外にかつ物足らず眺《なが》めていたが、やがて沓脱《くつぬぎ》の上に脱ぎ捨てた下駄《げた》に気をつけた。その下駄はもちろん女ものであったが、行儀よく向うむきに揃《そろ》っているだけで、下女が手をかけて直した迹《あと》が少しも見えない。敬太郎は下駄の向《むき》と、思ったより早く上《あが》ってしまった女の所作《しょさ》とを継《つ》ぎ合わして、これは取次を乞わずに、独《ひと》りで勝手に障子を開けて這入《はい》った極《きわ》めて懇意の客だろうと推察した。でなければ家《うち》のものだが、それでは少し変である。須永の家《いえ》は彼と彼の母と仲働《なかばたら》きと下女の四人《よつたり》暮しである事を敬太郎はよく知っていたのである。
 敬太郎は須永の門前にしばらく立っていた。今這入った女の動静をそっと塀の外から窺《うかが》うというよりも、むしろ須永とこの女がどんな文《あや》に二人の浪漫《ロマン》を織っているのだろうと想像するつもりであったが、やはり聞耳《ききみみ》は立てていた。けれども内はいつもの通りしんとしていた。艶《なま》めいた女の声どころか、咳嗽《せき》一つ聞えなかった。
「許嫁《いいなずけ》かな」
 敬太郎はまず第一にこう考えたが、彼の想像はそのくらいで落ちつくほど、訓練を受けていなかった。――母は仲働を連れて親類へ行ったから今日は留守である。飯焚《めしたき》は下女部屋に引き下がっている。須永と女とは今差向いで何か私語《ささや》いている。――はたしてそうだとするといつものように格子戸《こうしど》をがらりと開けて頼むと大きな声を出すのも変なものである。あるいは須永も母も仲働もいっしょに出たかも知れない。おさんはきっと昼寝《ひるね》をしている。女はそこへ這入《はい》ったのである。とすれば泥棒である。このまま引返してはすまない。――敬太郎は狐憑《きつねつき》のようにのそりと立っていた。

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