2008年11月19日水曜日

 中一日《なかいちにち》置いて、敬太郎《けいたろう》は堂々と田口へ電話をかけて、これからすぐ行っても差支《さしつかえ》ないかと聞き合わせた。向うの電話口へ出たものは、敬太郎の言葉つきや話しぶりの比較的|横風《おうふう》なところからだいぶ位地の高い人とでも思ったらしく、「どうぞ少々御待ち下さいまし、ただいま主人の都合をちょっと尋ねますから」と丁寧な挨拶をして引き込んだが、今度返事を伝えるときは、「ああ、もしもし今ね、来客中で少し差支えるそうです。午後の一時頃来るなら来ていただきたいという事です」と前よりは言葉がよほど粗末《ぞんざい》になっていた。敬太郎は、「そうですか、それでは一時頃上りますから、どうぞ御主人に宜《よろ》しく」と答えて電話を切ったが、内心は一種|厭《いや》な心持がした。
 十二時かっきりに午飯《ひるめし》を食うつもりで、あらかじめ下女に云いつけておいた膳《ぜん》が、時間通り出て来ないので、敬太郎は騒々しく鳴る大学の鐘に急《せ》き立てられでもするように催促をして、できるだけ早く食事を済ました。電車の中では一昨日《おととい》の晩会った田口の態度を思い浮べて、今日もまたああいう風に無雑作《むぞうさ》な取扱を受けるのか知らん、それとも向うで会うというくらいだから、もう少しは愛嬌《あいきょう》のある挨拶でもしてくれるか知らんと考えなどした。彼はこの紳士の好意で、相当の地位さえ得られるならば、多少腰を曲《かが》めて窮屈な思をするぐらいは我慢するつもりであった。けれども先刻《さっき》電話の取次に出たもののように、五分と経《た》たないうちに、言葉使いを悪い方に改められたりすると、もう不愉快になって、どうかそいつがまた取次に出なければいいがと思う。その癖《くせ》自分のかけ方の自分としては少し横風過ぎた事にはまるで気がつかない性質《たち》であった。
 小川町の角で、斜《はす》に須永《すなが》の家《うち》へ曲《まが》る横町を見た時、彼ははっと例の後姿の事を思い出して、急に日蔭《ひかげ》から日向《ひなた》へ想像を移した。今日も美くしい須永の従妹《いとこ》のいる所へ訪問に出かけるのだと自分で自分に教える方が、億劫《おっくう》な手数《てかず》をかけて、好い顔もしない爺《じい》さんに、衣食の途《みち》を授けて下さいと泣《なき》つきに行くのだと意識するよりも、敬太郎に取っては遥《はる》かに麗《うらら》かであったからである。彼は須永の従妹《いとこ》と田口の爺さんを自分勝手に親子ときめておきながらどこまでも二人を引き離して考えていた。この間の晩田口と向き合って玄関先に立った時も、光線の具合で先方《さき》の人品は判然《はっきり》分らなかったけれども、眼鼻だちの輪廓《りんかく》だけで評したところが、あまり立派な方でなかった事は、この爺さんの第一印象として、敬太郎の胸に夜目《よめ》にも疑《うたがい》なく描かれたのである。それでいて彼はこの男の娘なら、須永との関係はどうあろうとも、器量《きりょう》はあまりいい方じゃあるまいという気がどこにも起らなかった。そこで離れていて合い、合っていて離れるような日向日蔭《ひなたひかげ》の裏表を一枚にした頭を彼は田口家に対して抱《いだ》いていたのである。それを互違にくり返した後《あと》、彼は田口の門前に立った。するとそこに大きな自働車が御者《ぎょしゃ》を乗せたまま待っていたので、少し安からぬ感じがした。
 玄関へ掛って名刺を出すと、小倉《こくら》の袴《はかま》を穿《は》いた若い書生がそれを受取って、「ちょっと」と云ったまま奥へ這入《はい》って行った。その声が確かに先刻《さっき》電話口で聞いたのに違ないので、敬太郎は彼の後姿《うしろすがた》を見送りながら厭《いや》な奴《やつ》だと思った。すると彼は名刺を持ったまままた現われた。そうして「御気の毒ですが、ただいま来客中ですからまたどうぞ」と云って、敬太郎の前に突立《つった》っていた。敬太郎も少しむっとした。
「先程電話で御都合を伺ったら、今客があるから午後一時頃来いという御返事でしたが」
「実はさっきの御客がまだ御帰りにならないで、御膳《おぜん》などが出て混雑《ごたごた》しているんです」
 落ちついて聞きさえすれば満更《まんざら》無理もない言訳なのだが、電話以後この取次が癪《しゃく》に障《さわ》っている敬太郎には彼の云い草がいかにも気に喰わなかった。それで自分の方から先《せん》を越すつもりか何かで、「そうですか、たびたび御足労でした。どうぞ御主人へよろしく」と平仄《ひょうそく》の合わない捨台詞《すてぜりふ》のような事を云った上、何だこんな自働車がと云わぬばかりにその傍《そば》を擦《す》り抜けて表へ出た。

0 件のコメント: