2008年11月19日水曜日

十一

 そのうち話がいつか肝心《かんじん》の須永《すなが》を逸《そ》れて、矢来の叔父という人の方へ移って行った。これは内幸町と違って、この御母《おっか》さんの実の弟に当る男だそうで、一種の贅沢屋《ぜいたくや》のように敬太郎《けいたろう》は須永から聞いていた。外套《がいとう》の裏は繻子《しゅす》でなくては見っともなくて着られないと云ったり、要《い》りもしないのに古渡《こわた》りの更紗玉《さらさだま》とか号して、石だか珊瑚《さんご》だか分らないものを愛玩《あいがん》したりする話はいまだに覚えていた。
「何にもしないで贅沢《ぜいたく》に遊んでいられるくらい好い事はないんだから、結構な御身分ですね」と敬太郎が云うのを引き取るように母は、「どうしてあなた、打ち明けた御話が、まあどうにかこうにかやって行けるというまでで、楽だの贅沢だのという段にはまだなかなかなのでございますからいけません」と打ち消した。
 須永の親戚に当る人の財力が、さほど敬太郎に関係のある訳でもないので、彼はそれなり黙ってしまった。すると母は少しでも談話の途切《とぎ》れるのを自分の過失ででもあるように、すぐ言葉を継《つ》いだ。
「それでも妹婿《いもとむこ》の方は御蔭《おかげ》さまで、何だかだって方々の会社へ首を突っ込んでおりますから、この方はまあ不自由なく暮しておる模様でございますが、手前共や矢来の弟《おとと》などになりますと、云わば、浪人《ろうにん》同様で、昔に比《くら》べたら、尾羽うち枯らさないばかりの体《てい》たらくだって、よく弟ともそう申しては笑うこってございますよ」
 敬太郎は何となく自分の身の上を顧《かえり》みて気恥かしい思をした。幸《さいわい》にさきがすらすら喋舌《しゃべ》ってくれるので、こっちに受け答をする文句を考える必要がないのをせめてもの得《とく》として聞き続けた。
「それにね、御承知の通り市蔵がああいう引っ込思案の男だもんでござんすから、私もただ学校を卒業させただけでは、全く心配が抜けませんので、まことに困り切ります。早く気に入った嫁でも貰って、年寄に安心でもさせてくれるようにおしなと申しますと、そう御母さんの都合のいいようにばかり世の中は行きゃしませんて、てんで相手にしないんでございますよ。そんなら世話をしてくれる人に頼んで、どこへでもいいから、務《つとめ》にでも出る気になればまだしも、そんな事にはまたまるで無頓着《むとんじゃく》であなた……」
 敬太郎はこの点において実際須永が横着過《おうちゃくすぎ》ると平生《ふだん》から思っていた。「余計な事ですが、少し目上の人から意見でもして上げるようにしたらどうでしょう。今御話の矢来の叔父さんからでも」と全く年寄に同情する気で云った。
「ところがこれがまた大の交際嫌の変人でございまして、忠告どころか、何だ銀行へ這入《はい》って算盤《そろばん》なんかパチパチ云わすなんて馬鹿があるもんかと、こうでございますから頭から相談にも何にもなりません。それをまた市蔵が嬉《うれ》しがりますので。矢来の叔父の方が好きだとか気が合うとか申しちゃよく出かけます。今日なども日曜じゃあるし御天気は好しするから、内幸町の叔父が大阪へ立つ前にちょっとあちらへ顔でも出せばいいのでございますけれども、やっぱり矢来へ行くんだって、とうとう自分の好きな方へ参りました」
 敬太郎はこの時自分が今日何のために馳《か》け込むようにこの家を襲《おそ》ったかの原因について、また新らしく考え出した。彼は須永の顔を見たら随分過激な言葉を使ってもその不都合を責めた上、僕はもう二度とあすこの門は潜《くぐ》らないつもりだから、そう思ってくれたまえぐらいの台詞《せりふ》を云って帰る気でいたのに、肝心《かんじん》の須永は留守《るす》で、事情も何も知らない彼の母から、逆《さか》さにいろいろな話をしかけられたので、怒《おこ》ってやろうという気は無論抜けてしまったのである。が、それでも行きがかり上、田口と会見を遂《と》げ得なかった顛末《てんまつ》だけは、一応この母の耳へでも構わないから入れておく必要があるだろう。それには話の中に内幸町へ行くとか行かないとかが問題になっている今が一番よかろう。――こう敬太郎は思った。

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