2008年11月19日水曜日

二十三

 森本の二字はとうから敬太郎《けいたろう》の耳に変な響を伝える媒介《なかだち》となっていたが、この頃ではそれが一層高じて全然一種の符徴《ふちょう》に変化してしまった。元からこの男の名前さえ出ると、必ず例の洋杖《ステッキ》を聯想《れんそう》したものだが、洋杖が二人を繋《つな》ぐ縁に立っていると解釈しても、あるいは二人の中を割《さ》く邪魔に挟《はさ》まっていると見傚《みな》しても、とにかく森本とこの竹の棒の間にはある距離《へだたり》があって、そう一足飛《いっそくとび》に片方から片方へ移る訳に行かなかったのに、今ではそれが一つになって、森本と云えば洋杖、洋杖と云えば森本というくらい劇《はげ》しく敬太郎の頭を刺戟《しげき》するのである。その刺戟を受けた彼の頭に、自分の所有のようなまた森本の所有のような、持主のどっちとも片づかないという観念が、熱《ほて》った血に流されながら偶然浮び上った時、彼はああこれだと叫んで、乱れ逃げる黒い影の内から、その洋杖だけをうんと捕《つか》まえたのである。
「自分のような他人《ひと》のような」と云った婆さんの謎《なぞ》はこれで解けたものと信じて、敬太郎は一人嬉しがった。けれどもまだ「長いような短かいような、出るような這入《はい》るような」というところまでは考えて見ないので、彼はあまる二カ条の特性をも等しくこの洋杖の中《うち》から探《さが》し出そうという料簡《りょうけん》で、さらに新たな努力を鼓舞《こぶ》してかかった。
 始めは見方一つで長くもなり短かくもなるくらいの意味かも知れないと思って、先へ進んで見たが、それでは余り平凡過ぎて、解釈がついたもつかないも同じ事のような心持がした。そこでまた後戻りをして、「長いような短かいような」という言葉を幾度《いくたび》か口の内でくり返しながら思案した。が、容易に解決のできる見込は立たなかった。時計を見ると、自由に使っていい二時間のうちで、もう三十分しか残っていない。彼は抜裏《ぬけうら》と間違えて袋の口へ這入《はい》り込んだ結果、好んで行き悩みの状態に悶《もだ》えているのでは無かろうかと、自分で自分の判断を危ぶみ出した。出端《では》のない行きどまりに立つくらいなら、もう一遍引き返して、新らしい途《みち》を探す方がましだとも考えた。しかしこう時間が逼《せま》っているのに、初手《しょて》から出直しては、とても間に合うはずがない、すでにここまで来られたという一部分の成功を縁喜《えんぎ》にして、是非先へ突き抜ける方が順当だとも考えた。これがよかろうあれがよかろうと右左に思い乱れている中に、彼の想像はふと全体としての杖《つえ》を離れて、握りに刻まれた蛇《へび》の頭に移った。その瞬間に、鱗《うろこ》のぎらぎらした細長い胴と、匙《さじ》の先に似た短かい頭とを我知らず比較して、胴のない鎌首《かまくび》だから、長くなければならないはずだのに短かく切られている、そこがすなわち長いような短かいような物であると悟った。彼はこの答案を稲妻《いなずま》のごとく頭の奥に閃《ひら》めかして、得意の余り踴躍《こおどり》した。あとに残った「出るような這入《はい》るような」ものは、大した苦労もなく約五分の間に解けた。彼は鶏卵《たまご》とも蛙《かえる》とも何とも名状しがたい或物が、半《なか》ば蛇の口に隠れ、半ば蛇の口から現われて、呑《の》み尽されもせず、逃《のが》れ切りもせず、出るとも這入るとも片のつかない状態を思い浮かべて、すぐこれだと判断したのである。
 これで万事が綺麗《きれい》に解決されたものと考えた敬太郎は、躍《おど》り上るように机の前を離れて、時計の鎖を帯に絡《から》んだ。帽子は手に持ったまま、袴《はかま》も穿《は》かずに室《へや》を出ようとしたが、あの洋杖《ステッキ》をどうして持って出たものだろうかという問題がちょっと彼を躊躇《ちゅうちょ》さした。あれに手を触れるのは無論、たとい傘入《かさいれ》から引き出したところで、森本が置き去りにして行ってからすでに久しい今日《こんにち》となって見れば、主人に断わらないにしろ、咎《とが》められたり怪しまれたりする気遣《きづかい》はないにきまっているが、さて彼らが傍《そば》にいない時、またおるにしても見ないうちに、それを提《さ》げて出ようとするには相当の思慮か準備が必要になる。迷信のはびこる家庭に成長した敬太郎は、呪禁《まじない》に使う品物を(これからその目的に使うんだという料簡《りょうけん》があって)手に入れる時には、きっと人の見ていない機会を偸《ぬす》んでやらなければ利《き》かないという言い伝えを、郷里《くに》にいた頃、よく母から聞かされていたのである。敬太郎は宿の上り口の正面にかけてある時計を見るふりをして、二階の梯子段《はしごだん》の中途まで降りて下の様子を窺《うか》がった。

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