2008年11月18日火曜日

 手頃な屏風《びょうぶ》がないので、ただ都合の好い位置を択《よ》って、何の囲《かこ》いもない所へ、そっと北枕に寝かした。今朝方《けさがた》玩弄《おもちゃ》にしていた風船玉を茶の間から持って来て、御仙がその枕元に置いてやった。顔へは白い晒《さら》し木綿《もめん》をかけた。千代子は時々それを取り除《の》けて見ては泣いた。「ちょっとあなた」と御仙が松本を顧《かえり》みて、「まるで観音様《かんのんさま》のように可愛《かわい》い顔をしています」と鼻を詰らせた。松本は「そうか」と云って、自分の坐っている席から宵子の顔を覗《のぞ》き込んだ。
 やがて白木の机の上に、櫁《しきみ》と線香立と白団子が並べられて、蝋燭《ろうそく》の灯《ひ》が弱い光を放った時、三人は始めて眠から覚《さ》めない宵子と自分達が遠く離れてしまったという心細い感じに打たれた。彼らは代る代る線香を上げた。その煙の香《におい》が、二時間前とは全く違う世界に誘《いざ》ない込まれた彼らの鼻を断えず刺戟《しげき》した。ほかの子供は平生の通り早く寝かされた後《あと》に、咲子《さきこ》という十三になる長女だけが起きて線香の側《そば》を離れなかった。
「御前も御寝《おね》よ」
「まだ内幸町からも神田からも誰も来ないのね」
「もう来るだろう。好いから早く御寝」
 咲子は立って廊下へ出たが、そこで振り回《かえ》って、千代子を招いた。千代子が同じく立って廊下へ出ると、小さな声で、怖《こわ》いからいっしょに便所《はばかり》へ行ってくれろと頼んだ。便所には電灯が点《つ》けてなかった。千代子は燐寸《マッチ》を擦《す》って雪洞《ぼんぼり》に灯《ひ》を移して、咲子といっしょに廊下を曲った。帰りに下女部屋を覗《のぞ》いて見ると、飯焚《めしたき》が出入《でいり》の車夫と火鉢《ひばち》を挟《はさ》んでひそひそ何か話していた。千代子にはそれが宵子の不幸を細かに語っているらしく思われた。ほかの下女は茶の間で来客の用意に盆を拭いたり茶碗を並べたりしていた。
 通知を受けた親類のものがそのうち二三人寄った。いずれまた来るからと云って帰ったのもあった。千代子は来る人ごとに宵子の突然な最後をくり返しくり返し語った。十二時過から御仙は通夜《つや》をする人のために、わざと置火燵《おきごたつ》を拵《こし》らえて室《へや》に入れたが、誰もあたるものはなかった。主人夫婦は無理に勧められて寝室へ退《しり》ぞいた。その後《あと》で千代子は幾度か短かくなった線香の煙を新らしく継《つ》いだ。雨はまだ降りやまなかった。夕方|芭蕉《ばしょう》に落ちた響はもう聞こえない代りに、亜鉛葺《トタンぶき》の廂《ひさし》にあたる音が、非常に淋しくて悲しい点滴《てんてき》を彼女の耳に絶えず送った。彼女はこの雨の中で、時々宵子の顔に当てた晒《さらし》を取っては啜泣《すすりなき》をしているうちに夜が明けた。
 その日は女がみんなして宵子の経帷子《きょうかたびら》を縫った。百代子《ももよこ》が新たに内幸町から来たのと、ほかに懇意の家《うち》の細君が二人ほど見えたので、小さい袖《そで》や裾《すそ》が、方々の手に渡った。千代子は半紙と筆と硯《すずり》とを持って廻って、南無阿弥陀仏《なむあみだぶつ》という六字を誰にも一枚ずつ書かした。「市《いっ》さんも書いて上げて下さい」と云って、須永《すなが》の前へ来た。「どうするんだい」と聞いた須永は、不思議そうに筆と紙を受取った。
「細かい字で書けるだけ一面に書いて下さい。後《あと》から六字ずつを短冊形《たんざくがた》に剪《き》って棺《かん》の中へ散らしにして入れるんですから」
 皆《みん》な畏《かし》こまって六字の名号《みょうごう》を認《した》ためた。咲子は見ちゃ厭《いや》よと云いながら袖屏風《そでびょうぶ》をして曲りくねった字を書いた。十一になる男の子は僕は仮名で書くよと断わって、ナムアミダブツと電報のようにいくつも並べた。午過《ひるすぎ》になっていよいよ棺に入れるとき松本は千代子に「御前着物を着換さしておやりな」と云った。千代子は泣きながら返事もせずに、冷たい宵子を裸にして抱《だ》き起した。その背中には紫色《むらさきいろ》の斑点が一面に出ていた。着換が済むと御仙が小さい珠数《じゅず》を手にかけてやった。同じく小さい編笠《あみがさ》と藁草履《わらぞうり》を棺に入れた。昨日《きのう》の夕方まで穿《は》いていた赤い毛糸の足袋《たび》も入れた。その紐《ひも》の先につけた丸い珠《たま》のぶらぶら動く姿がすぐ千代子の眼に浮んだ。みんなのくれた玩具《おもちゃ》も足や頭の所へ押し込んだ。最後に南無阿弥陀仏の短冊《たんざく》を雪のように振りかけた上へ葢《ふた》をして、白綸子《しろりんず》の被《おい》をした。

0 件のコメント: