2008年11月18日火曜日

二十一

 彼は突然彼の体格に相応した大きな声を出して姉妹を呼んだ。自白するが、僕はそれまでに何度も後《うしろ》を振り返って見ようとしたのである。けれども気が咎《とが》めると云うのか、自尊心が許さないと云うのか、振り向こうとするごとに、首が猪《いのしし》のように堅くなって後へ回らなかったのである。
 見ると二人の姿はまだ一町ほど下にあった。そうしてそのすぐ後に高木と吾一が続いていた。叔父が遠慮のない大きな声を出して、おおいと呼んだ時、姉妹は同時に僕らを見上げたが、千代子はすぐ後にいる高木の方を向いた。すると高木は被《かぶ》っていた麦藁帽《むぎわらぼう》を右の手に取って、僕らを目当にしきりに振って見せた。けれども四人のうちで声を出して叔父に応じたのはただ吾一だけであった。彼はまた学校で号令の稽古《けいこ》でもしたものと見えて、海と崖《がけ》に反響するような答と共に両手を一度に頭の上に差し上げた。
 叔父と僕は崖の鼻に立って彼らの近寄るのを待った。彼らは叔父に呼ばれた後《のち》も呼ばれない前と同じ遅い歩調で、何か話しながら上《あが》って来た。僕にはそれが尋常でなくって、大いにふざけているように見えた。高木は茶色のだぶだぶした外套《がいとう》のようなものを着て時々|隠袋《ポッケット》へ手を入れた。この暑いのにまさか外套は着られまいと思って、最初は不思議に眺《なが》めていたが、だんだん近くなるに従がって、それが薄い雨除《レインコート》である事に気がついた。その時叔父が突然、市《いっ》さんヨットに乗ってそこいらを遊んで歩くのも面白いだろうねと云ったので、僕は急に気がついたように高木から眼を転じて脚《あし》の下を見た。すると磯《いそ》に近い所に、真白に塗った空船《からぶね》が一|艘《そう》、静かな波の上に浮いていた。糠雨《ぬかあめ》[#「糠雨」は底本では「糖雨」]とまでも行かない細かいものがなお降りやまないので、海は一面に暈《ぼか》されて、平生《いつも》なら手に取るように見える向う側の絶壁の樹も岩も、ほとんど一色《ひといろ》に眺《なが》められた。そのうち四人《よつたり》はようやく僕らの傍《そば》まで来た。
「どうも御待たせ申しまして、実は髭《ひげ》を剃《す》っていたものだから、途中でやめる訳にも行かず……」と高木は叔父の顔を見るや否や云訳《いいわけ》をした。
「えらい物を着込んで暑かありませんか」と叔父が聞いた。
「暑くったって脱ぐ訳に行かないのよ。上はハイカラでも下は蛮殻《ばんから》なんだから」と千代子が笑った。高木は雨外套《レインコート》の下に、直《じか》に半袖《はんそで》の薄い襯衣《シャツ》を着て、変な半洋袴《はんズボン》から余った脛《すね》を丸出しにして、黒足袋《くろたび》に俎下駄《まないたげた》を引っかけていた。彼はこの通りと雨外套の下を僕らに示した上、日本へ帰ると服装が自由で貴女《レデー》の前でも気兼《きがね》がなくって好いと云っていた。
 一同がぞろぞろ揃《そろ》って道幅の六尺ばかりな汚苦《むさくる》しい漁村に這入《はい》ると、一種不快な臭《におい》がみんなの鼻を撲《う》った。高木は隠袋《ポッケット》から白い手巾《ハンケチ》を出して短かい髭の上を掩《おお》った。叔父は突然そこに立って僕らを見ていた子供に、西の者で南の方から養子に来たものの宅《うち》はどこだと奇体な質問を掛けた。子供は知らないと云った。僕は千代子に何でそんな妙な聞き方をするのかと尋ねた。昨夕《ゆうべ》聞き合せに人をやった家《うち》の主人が云うには、名前は忘れたからこれこれの男と云って探して歩けば分ると教えたからだと千代子が話して聞かした時、僕はこの呑気《のんき》な教え方と、同じく呑気な聞き方を、いかにも余裕なくこせついている自分と比べて見て、妙に羨《うらや》ましく思った。
「それで分るんでしょうか」と高木が不思議な顔をした。
「分ったらよっぽど奇体だわね」と千代子が笑った。
「何大丈夫分るよ」と叔父が受合った。
 吾一は面白半分人の顔さえ見れば、西のもので南の方から養子に来たものの宅はどこだと聞いては、そのたびにみんなを笑わした。一番しまいに、編笠《あみがさ》を被《かぶ》って白い手甲《てっこう》と脚袢《きゃはん》を着けた月琴弾《げっきんひき》の若い女の休んでいる汚ない茶店の婆さんに同じ問《とい》をかけたら、婆さんは案外にもすぐそこだと容易《たやす》く教えてくれたので、みんながまた手を拍《う》って笑った。それは往来から山手の方へ三級ばかりに仕切られた石段を登り切った小高い所にある小さい藁葺《わらぶき》の家であった。

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