2008年11月18日火曜日

二十五

 僕はその晩一人東京へ帰った。母はみんなに引きとめられて、帰るときには吾一か誰か送って行くという条件の下《もと》に、なお二三日鎌倉に留《とど》まる事を肯《がえ》んじた。僕はなぜ母が彼らの勧めるままに、人を好《よ》く落ちついているのだろうと、鋭どく磨《と》がれた自分の神経から推して、悠長《ゆうちょう》過ぎる彼女をはがゆく思った。
 高木にはそれから以後ついぞ顔を合せた事がなかった。千代子と僕に高木を加えて三《み》つ巴《ともえ》を描いた一種の関係が、それぎり発展しないで、そのうちの劣敗者に当る僕が、あたかも運命の先途《せんど》を予知したごとき態度で、中途から渦巻《うずまき》の外に逃《のが》れたのは、この話を聞くものにとって、定めし不本意であろう。僕自身も幾分か火の手のまだ収まらないうちに、取り急いで纏《まとい》を撤したような心持がする。と云うと、僕に始からある目論見《もくろみ》があって、わざわざ鎌倉へ出かけたとも取れるが、嫉妬心《しっとしん》だけあって競争心を有《も》たない僕にも相応の己惚《うぬぼれ》は陰気な暗い胸のどこかで時々ちらちら陽炎《かげろ》ったのである。僕は自分の矛盾をよく研究した。そうして千代子に対する己惚《うぬぼれ》をあくまで積極的に利用し切らせないために、他の思想やら感情やらが、入れ代り立ち替り雑然として吾心を奪いにくる煩《わず》らわしさに悩んだのである。
 彼女は時によると、天下に只一人《ただいちにん》の僕を愛しているように見えた。僕はそれでも進む訳に行かないのである。しかし未来に眼を塞《ふさ》いで、思い切った態度に出ようかと思案しているうちに、彼女はたちまち僕の手から逃れて、全くの他人と違わない顔になってしまうのが常であった。僕が鎌倉で暮した二日の間に、こういう潮《しお》の満干《みちひ》はすでに二三度あった。或時は自分の意志でこの変化を支配しつつ、わざと近寄ったり、わざと遠退《とおの》いたりするのでなかろうかという微《かす》かな疑惑をさえ、僕の胸に煙らせた。そればかりではない。僕は彼女の言行を、一《いつ》の意味に解釈し終ったすぐ後《あと》から、まるで反対の意味に同じものをまた解釈して、その実《じつ》どっちが正しいのか分らないいたずらな忌々《いまいま》しさを感じた例《ためし》も少なくはなかった。
 僕はこの二日間に娶《めと》るつもりのない女に釣られそうになった。そうして高木という男がいやしくも眼の前に出没する限りは、厭《いや》でもしまいまで釣られて行きそうな心持がした。僕は高木に対して競争心を有たないと先に断ったが、誤解を防ぐために、もう一度同じ言葉をくり返したい。もし千代子と高木と僕と三人が巴になって恋か愛か人情かの旋風《つむじかぜ》の中に狂うならば、その時僕を動かす力は高木に勝とうという競争心でない事を僕は断言する。それは高い塔の上から下を見た時、恐ろしくなると共に、飛び下りなければいられない神経作用と同じ物だと断言する。結果が高木に対して勝つか負けるかに帰着する上部《うわべ》から云えば、競争と見えるかも知れないが、動力は全く独立した一種の働きである。しかもその動力は高木がいさえしなければけっして僕を襲《おそ》って来ないのである。僕はその二日間に、この怪しい力の閃《きらめき》を物凄《ものすご》く感じた。そうして強い決心と共にすぐ鎌倉を去った。
 僕は強い刺戟《しげき》に充《み》ちた小説を読むに堪《た》えないほど弱い男である。強い刺戟に充ちた小説を実行する事はなおさらできない男である。僕は自分の気分が小説になりかけた刹那《せつな》に驚ろいて、東京へ引き返したのである。だから汽車の中の僕は、半分は優者で半分は劣者であった。比較的乗客の少ない中等列車のうちで、僕は自分と書き出して自分と裂き棄《す》てたようなこの小説の続きをいろいろに想像した。そこには海があり、月があり、磯《いそ》があった。若い男の影と若い女の影があった。始めは男が激《げき》して女が泣いた。後《あと》では女が激して男が宥《なだ》めた。ついには二人手を引き合って音のしない砂の上を歩いた。あるいは額《がく》があり、畳があり、涼しい風が吹いた。二人の若い男がそこで意味のない口論をした。それがだんだん熱い血を頬に呼び寄せて、ついには二人共自分の人格にかかわるような言葉使いをしなければすまなくなった。果《はて》は立ち上って拳《こぶし》を揮《ふる》い合った。あるいは……。芝居に似た光景は幾幕となく眼の前に描《えが》かれた。僕はそのいずれをも甞《な》め試ろみる機会を失ってかえって自分のために喜んだ。人は僕を老人みたようだと云って嘲《あざ》けるだろう。もし詩に訴えてのみ世の中を渡らないのが老人なら、僕は嘲けられても満足である。けれどももし詩に涸《か》れて乾《から》びたのが老人なら、僕はこの品評に甘んじたくない。僕は始終詩を求めてもがいているのである。

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