2008年11月18日火曜日

 意地の強い僕は母を嬉《うれ》しがらせるよりもなるべく自我を傷《きずつ》けないようにと祈った。その結果千代子が僕の知らない間に、母から説き落されてはと掛念して、暗にそれを防ぐ分別をした。母は彼女の生れ落ちた当初すでに僕の嫁ときめただけあって、多くある姪《めい》や甥《おい》の中で、取り分け千代子を可愛《かわい》がった。千代子も子供の時分から僕の家を生家のごとく心得て遠慮なく寝泊《ねとま》りに来た。その縁故で、田口と僕の家が昔に比べると比較的|疎《うと》くなった今日《こんにち》でも、千代子だけは叔母さん叔母さんと云って、生《うみ》の親にでも逢いに来るような朗らかな顔をして、しげしげ出入《でいり》をしていた。単純な彼女は、自分の身を的《まと》に時々起る縁談をさえ、隠すところなく母に打ち明けた。人の好い母はまたそれを素直に聞いてやるだけで、恨《うら》めしい眼つき一つも見せ得なかった。僕の恐れる懇談は、こういう関係の深い二人の間に、いつ起らないとも限らなかったのである。
 僕の分別というのはまずこの点に関して、当分母の口を塞《ふさ》いでおこうとする用心に過ぎなかった。ところがいざ改たまって母にそれを切り出そうとすると、ただ自分の我《が》を通すために、弱い親の自由を奪うのは残酷な子に違ないという心持が、どこにか萌《きざ》すので、ついそれなりにしてやめる事が多かった。もっとも年寄の眉《まゆ》を曇らすのがただ情《なさけ》ないばかりでやめたとも云われない。これほど親しい間柄でさえ今まで思い切ったところを千代子に打ち明け得なかった母の事だから、たといこのままにしておいても、まあ当分は大丈夫だろうという考が、母に対する僕を多少|抑《おさ》えたのである。
 それで僕は千代子に関して何という明瞭《めいりょう》な所置も取らずに過ぎた。もっともこういう不安な状態で日を送った時期にも、まるで田口の家と打絶えた訳ではなかったので、会《たま》には単に母の喜こぶ顔を見るだけの目的をもって内幸町まで電車を利用した覚さえあったのである。そういうある日の晩、僕は久しぶりに千代子から、習い立ての珍らしい手料理を御馳走《ごちそう》するからと引止められて、夕飯の膳《ぜん》についた。いつも留守《るす》がちな叔父がその日はちょうど内にいて、食事中例の気作《きさく》な話をし続けにしたため、若い人の陽気な笑い声が障子《しょうじ》に響くくらい家の中が賑《にぎ》わった。飯が済んだ後《あと》で、叔父はどういう考か、突然僕に「市《いっ》さん久しぶりに一局やろうか」と云い出した。僕はさほど気が進まなかったけれどもせっかくだから、やりましょうと答えて、叔父と共に別室へ退《しりぞ》いた。二人はそこで二三番打った。固《もと》より下手と下手の勝負なので、時間のかかるはずもなく、碁石《ごいし》を片づけてもまだそれほど遅くはならなかった。二人は煙草《たばこ》を呑《の》みながらまた話を始めた。その時僕は適当な機会を利用してわざと叔父に「千代子さんの縁談はまだ纏《まと》まりませんか」と聞いた。それは固より僕が千代子に対して他意のないという事を示すためであった。がまた一方では、一日も早くこの問題の解決が着けば、自分も安心だし、千代子も幸福だと考えたからである。すると叔父はさすがに男だけあって、何の躊躇《ちゅうちょ》もなくこう云った。――
「いやまだなかなかそう行きそうもない。だんだんそんな話を持って来てくれるものはあるが、何しろむずかしくって弱る。その上調べれば調べるほど面倒になるだけだし、まあ大抵のところで纏まるなら纏めてしまおうかと思ってる。――縁談なんてものは妙なものでね。今だから御前に話すが、実は千代子の生れたとき、御前の御母さんが、これを市蔵の嫁に欲しいってね――生れ立ての赤ん坊をだよ」
 叔父はこの時笑いながら僕の顔を見た。
「母は本気でそう云ったんだそうです」
「本気さ。姉さんはまた正直な人だからね。実に好い人だ。今でも時々|真面目《まじめ》になって叔母さんにその話をするそうだ」
 叔父は再び大きな声を出して笑った。僕ははたして叔父がこう軽くこの事件を解釈しているなら、母のために少し弁じてやろうかと考えた。が、もしこれが世慣《よな》れた人の巧妙な覚《さと》らせぶりだとすれば、一口でも云うだけが愚《おろか》だと思い直して黙った。叔父は親切な人でまた世慣《よな》れた人である。彼のこの時の言葉はどちらの眼で見ていいのか、僕には今もって解らない。ただ僕がその時以来千代子を貰わない方へいよいよ傾いたのは事実である。

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